先生と初めて会ったのはある雨の日のことだった。 坂下通りの豆腐屋を抜けた先の、少し寂れた茶屋で雨宿りをしていたときに「アメフリヤミマスカ」とたどたどしい日本語で私に話しかけてきた。 「女房どもは晴れるって言ってたんですが、じゃんじゃん降られましたね」 私は顔が青白く頬のこけた、まだ私にとって見知らぬ西洋人にすぎなかった先生を見上げながら答えた。当時はまだこの街で西洋人など見かけることはほとんどなかったので、物珍しさに駆られた私はこの男に雨がやむまで話そうと提案をした。 「イイデスガ、ニホンゴウマクナイノデ、スコシアナタフカイニスル」 先生はこの茶屋の名物の林檎団子を頬張りながらたどたどしいニホンゴで答えた。 「yeah, I can speak English」 「thank you, but I'm not good at English. ドイツゴカフランスゴムリカ?」 後から聞いた話では、先生は当時では珍しいドイツ人とフランス人の両親を持っており、英語はあまり得意ではなかった。このとき私は、英語が不得手でドイツ語とフランス語が話せるというこの男にますますの興味が湧いたのだった。 「Ja, Ich kann. Wie heissen Sie?」 流行病にかかり外務省をやめたばかりだった私は、役人時代に赴任したことのあるドイツ語で答えた。 「Ich heisse Konan」 先生は、唐突に名前を聞いた私にコナンだと名乗った。それから私たちは、雨が止むまでの間に様々なことを語り合った。 先生は母国で食べた日本の林檎の味が忘れられずに日本にまでやってきたのだという。 しかし、先生が思っていたような林檎は見つけることが出来ず、それどころか途中で咳風邪をひいてしまいなかなか治らないどころか、医者に結核を疑われた母国に帰ることにさえできないのだという。 当時結核は不治の伝染病とされており、一度かかってしまえば諦めるよりほかなかった。幸い、先生の場合はただの風邪だったのだが、このとき私は流行病で外務省を退いた上に結核だなんて冗談じゃないと思いつつ、それでもこの不憫な西洋人との話をやめることができなかった。 先生も私の兄が家督を継いだ実家の林檎農家の話に夢中だったらしく、時折ややフランス語訛りのドイツ語で声をうわずらせていた。 丁度茶屋を追い出される頃に雨がやみ、私と先生は次は丸石橋の右詰めで会おうと約束を取り付け、お互いに別れをつげた。 少し肌寒く吹き付ける風を感じながら、私は奥歯に残る林檎団子を舌で取ろうとしていた
先生と初めて会ったのはある雨の日のことだった。 坂下通りの豆腐屋を抜けた先の、少し寂れた茶屋で雨宿りをしていたときに「アメフリヤミマスカ」とたどたどしい日本語で私に話しかけてきた。 「細君どもは晴れるって言ってたんですが、じゃんじゃん降られましたね」 私は顔が青白く頬のこけた、まだ私にとって見知らぬ西洋人にすぎなかった先生を見上げながら答えた。当時はまだこの街で西洋人など見かけることはほとんどなかったので、物珍しさに駆られた私はこの男に雨がやむまで話そうと提案をした。 「イイデスガ、ニホンゴウマクナイノデ、スコシアナタフカイニスル」 先生はこの茶屋の名物の林檎団子を頬張りながらたどたどしいニホンゴで答えた。 「yeah, I can speak English」 「thank you, but I'm not good at English. ドイツゴカフランスゴムリカ?」 後から聞いた話では、先生は当時では珍しいドイツ人とフランス人の両親を持っており、英語はあまり得意ではなかった。このとき私は、英語が不得手でドイツ語とフランス語が話せるというこの男にますますの興味が湧いたのだった。 「Ja, Ich kann. Wie heissen Sie?」 流行病にかかり外務省をやめたばかりだった私は、役人時代に赴任したことのあるドイツ語で答えた。 「Ich heisse Konan」 先生は、唐突に名前を聞いた私にコナンだと名乗った。それから私たちは、雨が止むまでの間に様々なことを語り合った。 先生は母国で食べた日本の林檎の味が忘れられずに日本にまでやってきたのだという。 しかし、先生が思っていたような林檎は見つけることが出来ず、それどころか途中で咳風邪をひいてしまいなかなか治らないどころか、医者に結核を疑われた母国に帰ることさえできないのだという。 不治の伝染病に一度かかってしまえば帰国は諦めるよりほかなかったのだ。幸い、先生の場合はただの風邪だったのだが、このときの私は流行病で外務省を退いた上に結核だなんて冗談じゃないと思いながらもこの不憫な西洋人との話をやめることができなかった。 先生も私の兄が家督を継いだ実家の林檎農家の話に夢中だったらしく、時折ややフランス語訛りのドイツ語で声をうわずらせていた。 丁度茶屋を追い出される頃に雨がやみ、私と先生は次は丸石橋の右詰めで会おうと約束を取り付け、お互いに別れを告げた。 少し肌寒く吹き付ける風を感じながら、私は奥歯に残る林檎団子を舌で取ろうとしていた。